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2019年06月24日

母の沖縄戦


昨日は慰霊の日でした。

めずらしく雨が降ってました。



私が幼い頃、母がたまに沖縄戦の話を聞かしてくれました。


家族で南部へ逃げている時に米軍の艦砲が近くに落ちて、父親に
背負われていた一番下の弟の頭に破片が直撃し、頭から血を噴き出して
死んだそうです。


昼は壕に隠れてて夜に移動したと言うが雨も降る中、周りは死体だらけで
恐怖に震え、それでも親に置いていかれないようにと必死で、死体も
踏みながら走ったそうです。



壕に入ってる時、艦砲が隣の壕を直撃し、たまたま隣の壕に入っていた姉が
お尻を吹き飛ばされて呻いていた。

その時は薬もなく傷口からウジも湧いて3日間苦しんで死んだらしい。

その時は自分もいつか死ぬんだと毎日が恐怖だったと言う。




南部まで逃げて壕に隠れている時に壕の外から
「デテキナサイ、ナニモシナイカラデテキナサイ」と米兵の声がした。


隣の壕から日本兵が何人か鉄砲を持って「天皇陛下バンザイ」と
飛び出していってバンバンと音がして撃たれたと言う。



ここで死ぬんだと思って震えていると一緒に隠れてた一人が手を上げて
出て行った。

撃ち殺されると思ったら何もされないで、その人が何もしないからみんな
出てきた方がいいよと言うので手を上げて出て行って助かったと言う。



母は弟をおぶったまま手を上げていたら、米兵が手をおろして弟をおぶって
いいよみたいなことをジェスチャーで言われたらしい。

もし壕から出て行かなかったらみんな手榴弾か火炎放射機で殺されていたはず。



母が生きてくれたから今の私が存在します。

もし死んでいたら私は生まれなかったわけで、助かった母に感謝しています。




その母も3年前に亡くなりました。



テレビで慰霊の日の追悼式を見ました。

最初に小学生の合唱団が竹内まりやの「いのちの歌」を歌った瞬間、
母を思い出して涙があふれました。


玉城デニー知事の平和宣言は素晴らしかった。

母の沖縄戦



最後に方言と英語で「ちむぐくる」について語ったのは感動した。


小学6年生の女の子の平和の詩の朗読も素晴らしかった。

母の沖縄戦




一回も原稿に目を落とさずに最後まで力強く前を向いて話していた。




前日、ふと家の後ろに植えてあった月下美人を見ると、花が咲いていた。

びっくりした。

母の沖縄戦



一晩しか咲かない花なので、まるで慰霊の日に合わせて咲いたのかと思った。




正午には南に向かって黙とうをした。


母の沖縄戦





二度と戦争をしてはならない!!


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Posted by 建築アトリエ海 at 15:23│Comments(0)沖縄のこと母のこと
 
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