てぃーだブログ › 建築アトリエ海のブログ › 2012年05月

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Posted by TI-DA at

2012年05月31日

グレ!!

タイトルで期待した人、スミマセン!! 


釣ったのではなくて、もらいました・・・・。






シーランドの仲宗根店長が長崎県の五島列島に釣り遠征に行って
たくさんグレを釣ってきたらしく

「グレ、食べますか~?」と電話が入った。


「もちろん食べますよ~」と返事し、飛ばしていって3匹頂きました。

大きいのは43センチありました。

グレ!! いいですねー!!




家に帰ると長男が夕飯を作っていて、もう食べるところでした。


「グレの刺身あげるから」と伝え、急いで大きいグレを捌きました。

残りの2枚は翌日にバター焼きで食べる予定!!


長男が夕飯を食べ初めたので、先に少しだけ出しました。





美味しいと言って食べていました。



全てを捌き終わったところで次女も帰ってきたので、一緒に食べました。






う~~ん!!

やっぱりグレの刺身は最高です。



家族みんな満足でした。


仲宗根店長、ありがとうね~~!!



次はいつ釣って来るの~~?(笑)



  

Posted by 建築アトリエ海 at 13:54Comments(6)釣り

2012年05月28日

数は釣れたが・・・

2週間ぶりに行ってきました。



朝は晴れてたのですがだんだん雲が出てきて、しまいには雨が降ったり
止んだりの天気となってしまいました。

途中で雨具を着けたり外したりの繰り返し・・・・


気象台に裏切られてしまいました。(笑)


雨模様の天気のせいなのか、魚の食いが渋い!!
しかも少し濁ってもいます。

海が濁ってる日はイカもいませんね。
何度も投げたけどノーバイトでした。


スルルーを流してもアタリ無し!!
30分ぐらいで切り上げて、フカセ開始!!


最初は魚もあまり見えない。

根気よくコマセを蒔き続けていたら、1時間ぐらいしてようやく
イラブチャーが出てきた。

しかし型が小さい。

20~30センチぐらいのイラブチャーが、20枚ぐらいコマセに群がっている。
他にオヤビッヤーが少し、オンレーやオジサンも見える。



大きいサイズは見えないが、ここは目では見えなくてもたまに40オーバー
が釣れたりするので、それに期待して始める。



最初のヒットは、オジサン!!

次もオジサン。

次もオジサン。

連続6枚までオジサンのオンパレード!!



今日はどうしたんだ?と思っていたら、ようやくイラブチャー!!
型は30ぐらい。


地合いにあったのか、何枚か連続してウキが入って行き、イラブチャーが
連発!!

しかし、型が小さい!!

せいぜい30ぐらい。

何枚か30センチをキープするが、手のひらサイズが多くリリースの繰り返し!!

20枚以上リリースしました。


もう大きいのが来ないなーと思いながらやっていたら、ウキがス~っと入る。

バシッと合わせるとそんなに重くない。
また小物かと思った瞬間、ドンと重くなり、一気に竿を絞り込まれ、
ギュイーンと竿が鳴った瞬間、フワッ!!

やってしまった!!

しかも、お気に入りのウキまでバイバイ!!


仕掛けを作り直して再開するが、やはり小さいのばっかりなので、
スルルーを付けて遠投する。

いい流れの中でウキが見えなくなり、パラパラと糸が出て行き、
釣れたのは30ちょいのタマン!!

それから同じように流して30弱のクチナジを3枚釣りました。


午後からはあまり魚も見えなくなり、ポツポツと何枚か釣って終了!!



まあまあ釣れたけど、小さいのばっかり!!

大きいので34センチでした。









  

Posted by 建築アトリエ海 at 12:35Comments(8)釣り

2012年05月25日

チェンジ!!

昨日、建築士会宜野湾支部総会がありました。







今年は役員改正の年で、私が支部長をすることになりました。
任期は2年です。


総会の後の懇親会の様子です。














市長も懇親会に見えて、挨拶を頂戴しました。








支部長になるにあたって、私の権限(笑)で今年から若い人たちに役員に
入ってもらいました。


長年建築士会活動をしていますが、私達もいい年になってきてみんな動きが
鈍くなってきています。(笑)


若い人たちが役員をやりたがらないということもありますが、もう20年近く
同じ人たちで役員をやってきました。

このままでは高齢化して士会活動ができなくなるなという危機感を持っていました。


自分が支部長になる機会に思い切った改革をして、若い次の世代にバトンタッチ
しようと思いました。


それで頑張っている若い女性会員に声をかけ、これからは若い人たちの
時代だからと何名か誘って役員になってもらいました。



そして今年から活動自体を私が決めるのではなくて、彼らに任そうと
思っています。
活発な活動を期待しています。

もちろん、求められたらアドバイスをしようと思っています。




そして2年後には、私は退こうかなと思っています。


私は、次の世代への橋渡しの役目をしようということです。



2年間、若い人たちの刺激を受けながら頑張りたいと思います。




  

Posted by 建築アトリエ海 at 18:24Comments(2)建築士会

2012年05月24日

親子だから!!

母の日はどうしようかと兄弟で話し合っていたら、母が

「この前みたいにみんなでカラオケに行きたい」

と言う。



母は家にいる時間が長いので、できたら外に出かけたいという気持ちの
ようだ。

13日の母の日は兄が都合が悪かったため、1週間伸ばして19日の土曜日に
行こうということになった。





今回は、母からしたら、子、孫、ひ孫まで参加して賑やかだった。

声をかけたらたくさん来てくれてよかった。

母もとても喜んでいた。



カラオケは世代が違うとなかなかだが、その辺はみんなわきまえているので
共通の歌を歌って楽しんだ。








盛り上がってきてひ孫も歌いだすと、母も大笑い!!




私の次女も参加していて、次女が小田和正の「眠れぬ夜」を私と一緒に
歌おうと言うので、二人で歌った。
自分の娘と一緒に歌うって最高ですね!!



4時間にわたって、みんなで楽しみました。



母にとって子や孫と一緒に過ごすことが、一番の楽しみのようだ。




去年、父が突然のガンで亡くなってしまって母が元気がないのを、
みんなで励ましながら支えて行こうとやっている。


うちの父母はずっと畑をやって、体も頑丈だし、90歳ぐらいまで長生き
するだろうと思っていたら、アスベストによるガンが発症し、あっという
間に父が死んでしまった。

ずっと二人で歩んでいたから、母のショックは大きかったようだ。



父の分まで長生きしてちょうだいと、みんなから母の好きなランを贈った。




とても喜んでいた。





母にはまだまだ長生きしてほしいと思う。

やっぱり親子だから!!



みなさんも親は元気なうちに孝行しましょうね。



  

Posted by 建築アトリエ海 at 12:27Comments(2)家族のこと

2012年05月18日

祖国復帰について

5月15日は沖縄の日本への復帰記念日でした。



あれから40年経った。


20~30歳代の人たちは復帰ということが身近に感じないだろうから、
復帰を経験した者として自分の感じたことを書いてみる。



1972年5月15日は私はたしか高校3年生だった。

当時は本土復帰ということにあまりピンとこなかった。

サッカーに夢中になって、あまり政治に感心のない高校生活を送っていた。





日本がアメリカとの戦争に負けて、唯一上陸されて基地が造られていた
沖縄だけはアメリカ合衆国の支配下に置かれた。

沖縄は日本から切り離されたのだった。

お金もB円からドルに変わった。
私が4~5歳のころにB円からドルに変わった。
物心ついた頃からドルだったので、何も感じなかった。
それが普通だった。


そしてアメリカの兵隊を身近でよく見た。

私が小さい頃、近くに米軍の演習場があり、アメリカの兵隊が演習していた。

空砲だけど鉄砲を撃ったり、パラシュートで空から下りてくる演習を、
遠くから見たりした。
子供だったのであまり怖いと感じなかった。

兵隊が引き上げた時にいろいろなものを捨てていくので、
それを探しに行くのが楽しみだった。
缶詰に入ったクラッカーなどがたくさんあった。
それを缶きりで開けて食べたりした。
食べるものもあまりない時代だったので、すごいごちそうだった。
ヤッキョウといって、ライフルの空砲の殻がたくさん落ちていて、
それを拾って集めた。
金物を買いに来る人がいて、その人が2セントとか5セントとかで買ってくれた。
子どものときのいい小遣いかせぎになった。




当時は米軍人の事件や事故がとても多かった。

アメリカ人が沖縄の人を殺しても日本の法律で裁けなく、無罪になっていた。
中学、高校になるにつれ、そのことにとても怒りを憶えた。
沖縄の人は同じ人間として扱われてなかった。

それを黙認していた日本政府に腹が立ったし、情けなく思った。

沖縄は差別されていた。



アメリカの人全てが悪いのではなくて、一部の人が事件を起こすのだろうけど
平気で人を殺す感じがして、怖い人種だと思った。




その時代はベトナム戦争があって、アメリカはその戦争に加担していた。

ベトナム戦争でたくさんのアメリカの兵隊が死んだ。

アメリカ本国から直接ベトナムに行けるわけではないので、一旦沖縄に
駐留し、それからベトナムに送られた。
沖縄からベトナムに送られて戦死する兵隊が多かった時代だ。

いつ戦地に送られて死ぬかもしれないという気持ちを持ってた兵隊は、
給料が支払われる金曜日(いわゆるペイデイ)の夜は基地入り口近くの
バーに行って、酒を飲んで有り金のほとんどを使っていたと言う。
どうせ死ぬんだからお金を残してもしょうがないという気持ちだったのだろう。

コザや金武などのアメリカ相手の社交街は(Aサインバー)、兵隊の
おかげで相当儲かったと言う。


沖縄戦で米軍に親や兄弟を殺された沖縄の人たちが、アメリカの兵隊の
おかげで、一部の沖縄の人たちがとても儲かったという不思議な時代
でもあった。






1972年の3月に修学旅行で本土へ行くことになったのだが、日本政府から
身分証明書というものが発行された。




これはいわゆるパスポートみたいなもので、
本土と沖縄を旅行する日本人であることを照明するものだった。




同じ日本国内を旅行するのに何でこんな証明書が必要なんだ!!

わかってはいたことだが、沖縄が日本でないんだということを感じたのを
憶えている。

最後の身分証明書を発行された高校生になった。
その身分証明書を今も持っている。

お金も必要な分だけ、ドルから円に交換して持って行った。
ドルと円の計算をしながら買い物をしたが、結構大変だった。




1972年3月18日に「日本国への帰国を証する」

3月31日に「日本国からの出国を証する」

とされている。


沖縄は日本とは切り離されていたんですよ。




ちょっと重い話ですが、当時を知るにはこんな話もいいんじゃないでしょうか!!


まだ続きます。

今日はこの辺で!!

また次回に!!
  

Posted by 建築アトリエ海 at 14:52Comments(9)日常のこと

2012年05月14日

撃沈!!

土曜日はいつもの北部へ!!



今度はと期待して行ったのですが、やっぱり激渋でした。




サーベイヤーが泣いてます。(笑)


5月に入ってからなぜか食いが極端に悪い!!

魚は見えるのです。

コマセを撒くと魚は集まるのですが、ウキに反応がありません。
ウキを超シブシブにしても、反応もなくエサがなくなります。

小さいイラブチャーがエサ取りなのだが、ウキに反応もなくエサを食べる
ので不思議でならない。


いろいろ試し、ウキをゆっくり沈めていき、穂先でアタリを取って
釣ったりしました。

それでも一日粘っても大きいのは釣れず、小さいのばっかりでした。



ハイ!!撃沈でした。




最近、ストレスが溜まっています。



母の日の前日で、花屋をやってるかみさんは忙しくて帰りが遅いと
連絡があり、長男もその手伝いで遅くなるとのことなので、夕飯は
次女と二人で食べました。


二人だけだから簡単に作ろうかと思ったら、次女が作ると言う。

トマトを出して作ったのが、これです。
イカも釣れたので、刺身を添えました。




何という料理?と聞いたら、自分で考えたので名前はないそうです。(笑)


まず、3枚に下ろしたイラブチャーをフライパンでオリーブオイルで揚げます。

皿に薄くバターをぬり、それに切ったトマトを並べその上に揚げた
イラブチャーを置き、パン粉をかけてオーブントースターで焼いて
出来上がりです。

トマトとイラブチャーを一緒に食べたらとっても美味しかったですね~。

次女に聞いたら、トマトを食べたかったから一緒にしてみたということ
でしたが、トマトとイラブチャーとパン粉の組み合わせが最高でした。




また釣ってくるからまた作ってねとお願いしました。(笑)

  

Posted by 建築アトリエ海 at 12:23Comments(6)釣り

2012年05月11日

沖縄市 S邸

沖縄市 S邸

1998年完成









































  

Posted by 建築アトリエ海 at 14:06Comments(0)今までの住宅

2012年05月10日

兄弟姉妹の気持ち

5日は子供の日だったのですが、私はもう子供も成人していて
子供と一緒に何かやるということもないので、(というより
子供は友だちと遊びに行く)私の兄が「母を連れてカラオケに行こう」
かという提案を出しました。


「カラオケ?この年で兄弟姉妹で?」

と思ったのですが、母はほとんど家にいてどこにも行かないのでみんなで
どこかへ連れて行こうということらしい。
食事しに行っても食べたら帰るだけだから、長く楽しめるところに行こうと
いうことだ。


さすが長男、やさしい提案だということですぐに話がまとまり、
母と兄弟姉妹みんな揃ってカラオケに行きました。


午後7時に入り、まず食事を注文して食べてからカラオケの始まり!!


50も過ぎて兄弟でカラオケもどうかと思ったのですが、やはり仲がいい
だけあってみんな楽しんで歌ってました。


妹と姉です。




私と母、そして弟夫婦と兄です。





弟はあまりカラオケ行ったことがないらしく、どんどん歌います。

私はカラオケ行く機会が多いので、少し遠慮して歌いました。

弟の奥さんも楽しそうに歌ってましたよ。




姉と妹はダンスも飛び出し、みんなで大うけ!!
楽しい姉妹です。



これには母が一番笑ってました。(笑)


兄弟でカラオケなんて恥かしいな~なんて思ってましたが、いざ始まると
みんなバンバン歌いだす。

兄弟ってこの辺がいいですね~。
気兼ねしなくていいから楽です。



母もとても楽しそうだったので一緒に連れてってよかったなと思いました。
母にとっては子どもと一緒にいるだけで嬉しかったようです。



約4時間、親子で楽しい時間を過ごしました。  

Posted by 建築アトリエ海 at 18:37Comments(0)家族のこと

2012年05月09日

5日は撃沈!!

3日に続き5日も釣りに行きました。


この日は私が4年前に住宅を設計した中城村のNさんと釣りに行く約束を
していたものです。


Nさんは私と知り合ってから釣りを始め、今相当はまっています。(笑)


行った場所は3日と同じ北部の磯!!

Nさんにとってはこの北部の磯は久々だったみたいで、期待でルンルンしてました。


私はといえば、二日前は渋かったけど今日はいいだろうと少し期待もしてました。


その日は3日とは違ういつものポイントでやりました。



まだ薄暗いうちにスルルーを流すも、何事も起こらず終了・・・・・。


Nさんはエギングで一生懸命しゃくっているが、イカもいないみたい・・・・


明るくなってきたところでフカセを開始!!

コマセを撒いたら小さいイラブチャーなどが結構出てきます。



今日はいいかも?と二人竿を出すが、ウキに変化がありません・・・がーん



まさかだろう?と思いながら手返しを繰り返す。

コマセに魚は集まるのだが、ウキがまったく入りません。

海の状況はいいみたいなのだが・・・・・
3日よりも相当食いが渋い。

というより、まったくと言っていいほどアタリがありません。







これは大変なことになったなーと思いあれこれと仕掛けを変えたりするの
ですが、ウキに変化が出ません。

エサは無くなるのです。


ハリスを1.5号にし、ウキを沈めて穂先でアタリをとるようにして、何とか
小さいイラブチャーがポツポツと釣れるぐらいでした。

Nさんもポツポツです。


しばらくしてNさんに大きいのが来たのだが、ロッドワークが悪く沈み根に
入られ糸を切られてしまう。

もったいない!!

その後、同じようなことがもう一回ありました。

Nさん、とても残念そう・・・・

これも勉強ですね。
Nさん、今度は取りましょう。



その後、自分が50近いセンスルーを釣ったのでNさんにあげました。



午後になって、Nさんがコーンを使って何枚かイラブチャーを釣ったので、
自分もコーンで5枚ぐらい釣る。
しかしそのアタリもとっても渋いです。
しかも型も小さい。


それも何枚も続かず・・・・・・

魚はたくさんコマセに群れるんですけど、ウキに変化が出ません。



ほんとに不思議な感じでした。


いや~、この磯でこんなに釣れなかったというのは初めてです。



それから私が目の前を通りがかった2~300グラムのチビイカを2枚釣って、
Nさんに持たせました。



結局、撃沈でした。




イラブチャーも大きいので33センチでした。
小さいクチナジは最後にスルルーを流して釣れたものです。




Nさんお疲れ様でした。

この日は釣れなくて残念でしたね。


これに懲りず、また行きましょうね~!!





  

Posted by 建築アトリエ海 at 18:31Comments(4)釣り

2012年05月08日

農家になる?

連休の4日と6日は母親の畑を耕しに行きました。


母は植えたゴーヤーとヘチマがどうなってるかと心配してたので、
それも見ながらです。


3週間ぐらい前に耕したのに、もう草が生え始めています。
草の生命力は凄いです。





兄と二人、トラクターの運転を交代しながら耕していきました。




耕した部分とまだの部分の色が違いますよね。





これだけの畑を耕すのに一日かかりました。




6日はとても暑かったですね~!!

兄と運転変わってる間に、畑の周りの木が伸びてきてるのでそれを
ノコギリで切ったりしました。
木にツタが茂っていて、切った木にツタがからんで引けないのを
面倒くさいからとノコギリで切ろうとして指を切りました。 アガ!(痛い!)






6月からニンジンが植えられるというので、それまでにもう一度耕して
畑にニンジンを植える部分と歩く部分を分けるための凹凸を作らなければ
なりません。

こんな感じです。
写真は去年のです。




この道を作るのもカンレキという別の機械でやります。
父は畑に必要な機械を全て買い揃えていたみたいです。

凄いと思いました。


まだまだやることがたくさんあって、今更ながら父は大変だったんだなー
とわかりました。
父が亡くなって、母も80歳になりこんな仕事できないので、私達が手伝って
あげなくてはなりません。

私達も自分の仕事があり、日曜日にしか手伝いできないのでなかなか
前に進みません。
母はそれが歯がゆいみたいです。


それでも父が亡くなって、母を一人家にこもりきりにすると心配なので
母の楽しみを作ってあげなくてはなりません。



私達がトラクターを運転してる間に、母はゴーヤーとヘチマに嬉しそうに
水をかけてました。




畑に行く以外、遊ぶこともしなかった母なので、野菜を育てている時が
楽しいんでしょうね。



トラクターは道路を走らせることもできますよ!!





もういろんな農業の機械を扱ってるので、何か日曜日は農家になってる感じです。(笑)


まだまだ休日は畑仕事になりそうです。  

Posted by 建築アトリエ海 at 16:31Comments(0)親の畑のこと

2012年05月07日

連休は渋かった

みなさん、連休はどのように過ごしましたか?


私は釣りと畑でした。(笑)



3日はいつもの北部の磯へ!!
その日は釣り友の大城さんと一緒です。


2日に大雨が降ったせいか、まだ海が少し濁っていました。




仕掛けを準備してスタートするも、魚がいません。

コマセをどんなに撒いても出てくるのはオヤビッチャーと小さいヒメアイゴ
がチラチラ見えるだけです。


1時間経っても状況は変わりません。
やはり雨が降って濁りがあるからかなーと話しながらやるも、
アタリはありません。



2時間ぐらいしてようやく濁りも取れてきて、少しづつイラブチャーが
見えてきました。

今からだねと二人期待して仕掛けを入れます。


しかし魚は見えるのにウキが入りません。
エサは無くなるのにウキに何の反応もありません。

ウキをシブシブにしても反応もなくエサが無くなります。

ほんとにめずらしいぐらい食いません。

オヤビッチャーなどは少なく、マキエにイラブチャーは集まってくるの
だが、動きがいつもよりトロトロしている。
やる気がないという感じです。(笑)



今日は渋いね~と話しながら、ウキを沈めたりいろいろ仕掛けを変え
ながらやりました。

ハリスを1.5号まで落としたら、たま~にアタリがあります。

最初に釣れたのが37~38のヤマトビー!!
ヤマトビーにしてはデカイですね。


これから釣れるかな?と期待したが、状況は変わりません。


魚は見えるのに持っていってくれません。


何とかポツポツ釣っていくという感じでしたね~。



ほんとに退屈するぐらい、めずらしい一日でした。



大雨の翌日は今までもあまり釣れない経験しかありません。

塩分濃度も関係するのでしょうか?


ほんとに渋い日でした。

撃沈に近い釣果でしたよ。


みなさんのところは釣れましたか?








連休初日で、子どもたちも各自遊びに行ってて、
夕飯はイラブチャーのバター焼きと白イカの刺身にして
かみさんと二人で食べました。






二人だけの夕飯はちょっと寂しいですね。






  

Posted by 建築アトリエ海 at 11:15Comments(4)釣り

2012年05月02日

メガフリーのウキ

メガフリーのウキ・・・・・

私も持っていますよ。





1年以上前に買ったのですが、全然使ってません。(笑)


去年、ヒカルと一緒に那覇一文字行った時に使ったきりです。

イマイチ使い方が分かりにくくて、ポケットにしまったままです。



明日使ってみるかな?



誰か使い方教えてください。(笑)  

Posted by 建築アトリエ海 at 19:35Comments(4)釣り